なんでせうかね
この季節の変わり目というのは、悩みが増える季節なのでせうかね。
私は今は何時もより悩んでませんが、曽根風呂のほうで悩んでる方が多いようで…学校の前に少し無駄に語ります。
−−何の為に絵を描いているのか?
よくぶち当たる疑問であり、そして未だに答を見出だせずにいる、あまり触れたくない疑問。
私は綺麗な人間では無いので、皆に夢を与える為などと美しいことは言えない。
だからと言って、今私が描いてるもの達は完全なる自己満足ではない。
多少の自己満足は認めよう。
だが、今楽しんで絵を描けているだろうかと問われれば、私はきっと皆を心配させたくがない為に偽善の笑顔で躊躇すること無くイエスと答える。
結局のところ、私の表の全ては読者の方々に提供しているのだと思う。
…絵を描くということを、昔のように心底楽しめてはいない。
だけど私はこの現状で、ある程度満足しているのだからきっとそれで良い。
私が描いたものを見て、喜んでくれる、反応してくれる、笑ってくれる、悲しんでくれる、意見してくれる…そんな人たちが居てくれるのだから私は恵まれてる。
…そんな感情を全部引っくるめるのだとすれば、私はやっぱり自己満足で絵を描いていることになるのだろう。
−−他人の批評はどのくらい鵜呑みにするべきか?
この疑問もよくぶち当たる壁である上に、境界線が曖昧な為難しい。
例えば私がよくブログで言われる言葉は「可愛いですね」「上手ですね」。
あまり言うべきでは無いが、私はこの典型的な言葉のほぼ全てを信ずることが出来ずにいる。
社交辞令だろ、と冷めた思いで見つめる私が頭の隅に何時もいる。
同時に、泣きそうな程嬉しがってる私も頭の隅に居たりする。
褒められることは例えようもない程嬉しい。そしてとても淋しい。
…結局は、自分の感覚に頼ることが1番なのだろうと私は思う。
私は社交辞令というものが酷く苦手で、社交辞令で言われた言葉にも本気で返してしまう。
それを誰も見向きしてくれなかったとしても、自己責任だから仕方ない。
−−他人は信じるべきか?
答は簡単、至極単純明快。
NO、だ。
確かに信じることは必要だ。だが、自分を見失ってまでのめり込む必要性など何処にも無い。
…要すると、私は基本誰も信じてはいない。
確かに私は、所謂友達と思っている人たちは信じている。
だが同時に、冷めた頭の片隅の自分は何時でも自分しか信じていなかったりする。
答は単純な癖に、何気に1番厄介な問題である。
長いな(笑
冷めた自分も「私」だし、テンション高くて涙脆い自分も「私」。
どっちの私も素なんだから仕方ない!
私は今は何時もより悩んでませんが、曽根風呂のほうで悩んでる方が多いようで…学校の前に少し無駄に語ります。
−−何の為に絵を描いているのか?
よくぶち当たる疑問であり、そして未だに答を見出だせずにいる、あまり触れたくない疑問。
私は綺麗な人間では無いので、皆に夢を与える為などと美しいことは言えない。
だからと言って、今私が描いてるもの達は完全なる自己満足ではない。
多少の自己満足は認めよう。
だが、今楽しんで絵を描けているだろうかと問われれば、私はきっと皆を心配させたくがない為に偽善の笑顔で躊躇すること無くイエスと答える。
結局のところ、私の表の全ては読者の方々に提供しているのだと思う。
…絵を描くということを、昔のように心底楽しめてはいない。
だけど私はこの現状で、ある程度満足しているのだからきっとそれで良い。
私が描いたものを見て、喜んでくれる、反応してくれる、笑ってくれる、悲しんでくれる、意見してくれる…そんな人たちが居てくれるのだから私は恵まれてる。
…そんな感情を全部引っくるめるのだとすれば、私はやっぱり自己満足で絵を描いていることになるのだろう。
−−他人の批評はどのくらい鵜呑みにするべきか?
この疑問もよくぶち当たる壁である上に、境界線が曖昧な為難しい。
例えば私がよくブログで言われる言葉は「可愛いですね」「上手ですね」。
あまり言うべきでは無いが、私はこの典型的な言葉のほぼ全てを信ずることが出来ずにいる。
社交辞令だろ、と冷めた思いで見つめる私が頭の隅に何時もいる。
同時に、泣きそうな程嬉しがってる私も頭の隅に居たりする。
褒められることは例えようもない程嬉しい。そしてとても淋しい。
…結局は、自分の感覚に頼ることが1番なのだろうと私は思う。
私は社交辞令というものが酷く苦手で、社交辞令で言われた言葉にも本気で返してしまう。
それを誰も見向きしてくれなかったとしても、自己責任だから仕方ない。
−−他人は信じるべきか?
答は簡単、至極単純明快。
NO、だ。
確かに信じることは必要だ。だが、自分を見失ってまでのめり込む必要性など何処にも無い。
…要すると、私は基本誰も信じてはいない。
確かに私は、所謂友達と思っている人たちは信じている。
だが同時に、冷めた頭の片隅の自分は何時でも自分しか信じていなかったりする。
答は単純な癖に、何気に1番厄介な問題である。
長いな(笑
冷めた自分も「私」だし、テンション高くて涙脆い自分も「私」。
どっちの私も素なんだから仕方ない!
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